うーん、本気で感想を書こうとするとあまりに書くことが多いので、なかなか感想を書けない事態に。
しょうがないので、ダイジェストで書いて終わらせましょう。
司会者の肩に手 §
武道会の司会者(朝倉和美)の肩に、彼女のものではない手が見えるという心霊写真のようなコマがあります。よく見てみると、実は幽霊のクラスメートである相坂さよが彼女と一緒にいる描写がさりげなく繰り返されています。
強調されることがない描写ですが、じっくり見ていくと発見できる面白い表現です。つまり、深く読んでいこうとすれば、それに応じて隠された中身が出てくるという実に奥行きのある作品ですね。
エヴァンジェリンの言葉 §
エヴァンジェリンが、ネギに贈る言葉が素晴らしいですね。
人生はいつも準備不足の連続だ
常に手持ちの材料で前に進む癖をつけておくがいい
これはもう、大まじめに座右(ざゆう)の言葉にしても良いぐらいの良い言葉ですね。
非常に前向きに好感できる言葉です。
突っ込みキャラ §
武道会を見ている長谷川千雨が、明らかに異常な事態に対して突っ込みを入れ続けています。これによって、世界が空虚な絵空事に世界に飛んでいってしまうことが阻止されています。どれほど異常な戦いが続いても、彼女が突っ込みを入れ続ける限り、それは当たり前のことにはなりません。
それは、たとえばドラゴンボールの世界で、空を飛ぶことがいつの間にか当たり前になってしまったような展開に対する不満をきちんと解消するやり方であるとも言えますね。
実に素晴らしい。
古菲のファッションセンス §
古菲が着ているのは一見してチャイナ風の服ではありますが、実質的にはレオタード的な衣装と見て良いのでしょう。一見、スカート状に見えるものは、単なる飾りの布でしかなく、その下は明らかに見せることを意図したレオタード状の服装になっていると見て良いでしょう。そして、膝上のソックス(?)と相まって生じる極めてスマートな色気。
この色気は、どちらかといえば、00年代というにはやや古く、バブル景気の時代、あるいはその余韻で走っている時代のものであるような気がします。
もちろん、それはファッションセンスが古いと主張しているわけです。しかし、古くても、この時代の方がスマートで格好いいと思うわけです。私はそれを好ましいと思うし、おそらくは作者もそう思っているのでしょう。
そのあたりが非常に気持ちよく感じられますね。
スカートで格闘する少女のたしなみ §
佐倉愛衣(さくらメイ)が武道会の空中に飛ばされたコマは、何重にも思慮された非常に優れたビジュアルです。
まず、彼女のスカートの中が丸見えになっています。ここまでは、男性の読者を意識したコミックではよくあることであり、普通のことだと言えます。
しかし、彼女はスカートの下に短パンをはいています。つまり、少女が武道会にスカート姿(制服姿)で出場する場合の配慮として、極めて現実的な予防措置を執っていることが分かります。つまり、この作品世界の少女は、けして男の都合で生きている人形ではないことを示しています。もちろん、言うまでもなく男性読者を楽しませることが目的であれば、ここは色気のある下着を盛大に見せるべきです。しかし、短パンを見せることが、作品に対する1つの誠実さであると思います。
ところが! 話はまだ終わりません。では色気が全否定されているのかというと、そうではないのです。実は短パンの隙間から下着が見えるのです。チラッとわずかに見えるのです。
そう、この「あらかじめ予防されていたにも関わらず、偶発的にチラッと見えてしまった」という感覚の演出が実に上手い。
つまり、男に都合の良い人形ではない少女が生きている生々しさを描きつつ、それと両立しうる色気を入れ込むという難行に挑戦し、それに成功しているのです。
実に素晴らしいですね。
これほどの水準にある作品が読めるというのは嬉しいことなので、次の巻が出たらまた買うでしょう。